教育と良識に付いて


              教育と左右の対立・・・・・・中庸に付いて

 近年、右翼(軽右翼や極右翼でない、本来の右翼、保守系の人も一部が含まれる。左翼に付いても同じ)の力が強まって来ました。この為に、(教基法や国歌などに付いての)左右の対立も各地で強まって・増加しているよう様です。
 所で、右翼にも左翼にも良い部分は多数有ります。しかし基本的な所で誤まっています。それは中庸さを大切にする姿勢に欠けているからです。歴史的に見ても、右翼や左翼の人々が活動して社会を変革・活性化して来た事が何度も有りました。しかし結果的には大きな不幸をもたらして終わっています。やはり中庸さを基本としていないから、やがては常識や良識を失って行く為にでしょう。
 上記の視点から、国歌斉唱の強制なども含む東京での教育改変を見て行きます。なお教育行政に付いても触れて行きます。
              

              
              東京のかつての教育改変(学校群制度導入)などに付いて(1)

 かつて、都教育委員会(六名の合議制)と都教育庁(教育行政上級職員)は都立高等学校に学校群制度を導入しました。これを長く続けた為、私立高校の社会的評価が高まって行く反面、都立高校は長期低落化を続けました。制度を廃止した頃、既に都立高校は大きく落ち込んで居ました。かつての都立高校の活力も相当に失われて居ました。
 所で、実は、この件で反省した人や責任を取った人を、筆者は誰も知りません。これ等こそが本当は大切な事だったのですが。
 さて、今日、この二者は都立高校の大きな改変を、新たに進めています。他方、これに付いての批判も寄せられて居ます。そこでこの内容ををしっかりと理解して、現在の教育改変を見届けて行きたいと思います。都立高校を現状より良くする・悪くしない為にです。   以下、幾つかの論議を進めましょう。


              (高校の)教育で当たり前に大切な事(2)

 かつて’85年頃、都立A高校(Aは数校の集合名です)で進級・卒業条件を緩和すると言う大きな変化が有りました。
 所で、全ての中学校卒業者を学力的に、上位・中位・下位に分けて見ると、今日では、都立高校の八割方の高校が中・下位の生徒を受け入れています。しかしこの位置の生徒は大半が自主的に学習を行ないません。条件を緩和するとより一層にです。
 さてA高校でも、教育庁側からの働きかけ、校長・教頭及び組合的(の一部・・以下も同じ)・女性・体育・情熱派・生活指導派教員などの意向によって、長時間の会議後に緩和が決まりました。既に生徒の学習不足は明瞭でしたので、学習重視型教員は反対しましたが少数でした。これを境にA校は大きく変わります。前にも増して、生徒は学習しなく為って来ました。(もち論、緩和により幾らかの利点は有りました)
 広く見ると、’90年前後に中位の都立高校では同じ様に変わっています。殆んど学習しなくとも、進級、卒業出来る事が普通に為って来たのです。生徒には「勉強したくないから都立へ来た」などと平気で広言する者も居ます。
 当然、私立高校は中位であっても進級・卒業条件を緩和していませんから、両者卒業生の学力差異は大きく為って来て居ましたした。既に、今日の・何等かの・都立高校改革を求める素地は出来て居たのです。
 


              (高校の)教育で当たり前に大切な事(3)

 (2)と同じく、全ての中学校(国・公・私立・他を含む)の卒業生を、学力的に上位・中位・下位と(概ね等分に)分けて考えます。高校には、主に上位の生徒を受け入れて居る高校、中位の高校、下位の高校、例外の高校が有ります。ここで例えば、上位と下位を比較すると、これが同じ高校かと思う程、生徒の実態に差異が有ります。
 さて、入学して来る生徒を高校での学習・教育面から見ると、中位で五十%以上・下位で八十%以上が既に学習意欲を持っていないと言えましょう。そして、学習条件、進級・卒業条件が緩やかになると、もっと割合(%)が高くなるのも現実です。この現実を超えるには、五十(八十)%以上の生徒が進級・卒業出来なくとも(中途退学しても)当然であるとの姿勢を、学校側が確りと持つ事も大切です。所で、学校がこの姿勢をきちんと持ち、かつ生徒に示す(実行を始める)と、実際には上記生徒の割合が減少して来ます。まがりなりにも、学習を始める生徒が増えて来ます。つまり自分の仕事に取り掛かります。
 さて進級・卒業条件などを、、きめ細やかな指導などとの言い様の下に緩やかにしても、厳しく確りと学習させても、中途退学者が減少するのなら、後者が良いのは自明です。普通の私立高校は皆なこうしています。公立のみが、近年、一部の生徒・保護者や支援する人々の要求を受けて、この当たり前の常識を失う方向へ、進んで来て仕舞ったのです。これは教育上の・日本社会の損失だとも言えるでしょう。今は、目先の改革よりも、学習上での厳しさ・確実さと進級・卒業条件を再度結合させる事、これが肝要になっているのです。
 学校側も・教育行政側も、この結合させる事を喪失しての改変では、様々に何かを行なっても、結局は学校を良くする・有用にする方向へ進めない、つまり得るものが少ないと言えましょう。必要なのは高度な教育論・政策などで無く、学校に常識と良識を取り戻す事なのです。特に上記中位の生徒はやがて、日本社会の各分野で実動者となって働くべき人々です。無為・不学な高校生活を送らせるなら、本人も社会も不幸になります。

                        
                         学力低下の論に付いて