学力論
学力の低下と不毛な論議
’05年2月11日
この間、児童・生徒・学生の学力低下に付いて、各地で語られる様になって来ました。しかしこれ等は国際比較や週休二日制やゆとり教育などに関する高度な論議が先行している様です。しかし高度であっても、現場(学校など)を確りと理解していない為に、これまでと同じく空論となっている様です。かつての空論から進められた改革が、今日の低下とされる現状をもたらしているのですから、今後の改革でも同じく不毛な成り行きが心配されます。
さてここで、1つの事柄を整理して見ます。
学校で1週に5日、1日6科目(実技・総合を含む)50分で5時間、1日2時間の自宅学習を行なうとすると、総学習時間は1週間に35時間となります。(もし、何らかの目的を持って土(日)曜日に追加すれば40時間以上となります)
さて普通の生徒にとって1週に35時間の学習は一応の充分さを有していると言えましょう。これは週休2日制やゆとり教育論以前の事柄として理解出来る内容です。(ゆとり教育も35時間の確保を阻害する限りに於いて問題となります)
さて次は実質上の話です。今日、この35時間の学習を確保している生徒はどれだけ居るでしょうか。まず間違い無く、半数に満たないでしょう。大半の生徒が「当然に実践しています」と語れる様な学校に勤務している教員は少ないでしょう。(なお塾などへ行ったしても、ただ行っているだけ=学習時間増加にならない場合も多い様です)
例として、中学校学力中位卒業生徒を受け入れている公立高等学校の実情を見て見ましょう。そこには、空ろな授業態度、無駄話、いたずら、教材不持参、遅刻・欠席、自宅学習不足(or無し)・やっ付け作業、その他で、35時間どころか限りなく0時間に近い生徒もたくさん居るでしょう。反面、きちんと35時間以上を保っている生徒はほんの数人の筈です。(一見真面目そうであっても、学習結果は試験をしなければ分りません)
なお、下位卒業生徒を受け入れている高校では、より一層学習をしていません。また、上位卒業生徒を受け入れている高校でも、総じて学習が不足する・積極的に取り組まない者が多いとかの実情にある筈です。
ともあれ(私立高校等も含めて)八割方の高校生を取り込んでいるのが、学習不足・しないと言う現実なのです。これ、学校が大きな病を内に抱えていると言っても良いでしょう。ここを克服して、八割方が学習を充分にすると言う現実に変えること、これは実に大きな課題となっています。ともあれ今日の学力低下に関する論議の中心は、現実に学習させて・して行く事、ここに有るべきだと言えましょう。とは言え、これは個々の教員が努力すれば・質を向上させればどうにかなる、などの簡単なものでは全く有りません。学校本来の学力付与能力向上は国や社会の現実と深く関わっているからです。
(注・・・この件は別に論じましたが、教育委員会・教育庁などの対応は基本的に間違っています。全員を卒業させる・退学者を出さないとかの誤った方向を決めて、学習しない・怠け呆けている生徒でも進級・卒業させる様にと現場(学校)へ要求しているからです。本当に為すべき大切な事は、本分に外れている生徒は進級・卒業をさせない・必ず学習させるとする現場の姿勢・努力を支援・助力する事、これが大切なのです。遊び呆けやアルバイト漬でも大丈夫・3年経てば卒業出来ると分かっている生徒に学習させることは、普通の人である教員の行なえる範囲外・つまり無理なのです。
ここで児童・生徒・学生に学習しない事を認めている(来た)人々の総体に付いて考えて見ます。
先ずは思い付くものから挙げて見ましょう。文科省のゆとり教育論と無原則に変わる学習指導要領、自分の子供の私立学校教育を先に確保している国会・地方議員たち、左よく的に活動する政党や集団や日教組・全教の実質的な学習不重視論、国旗・国歌や反日教組や徳育にばかり目を向けている右よく的な人々、学力向上の重要性を充分に認識していない(又は政治的対応に立ち過ぎている)教育委員たち、進級・卒業させなくとも当然だとする本当の意味での責任をまっとうしない教育行政上級職員たち、単に学校在学や卒業を要求するのみの一部の保護者たち、保護者・生徒の利己心や利益を人権の名の下に擁護する弁護士たち、学校での学習秩序の大切さを理解せずに無秩序(自由や自主性など言われたもの)を良しとして来た報道機関、学校へ良識無しで子供の権利拡充や男女平等や性教育などを持ち込む不自然な非学力活動、学校現場の実情を確りと理解せずに空理・空論を語り続ける学者・専門家たち、教育行政職員や保護者に従い・迎合する学校長たち、学習活動にこそ基本的な厳しさが必要だと理解できない教員たち、学校内や生徒間での破壊・粗暴活動を制御出来ない少年法を守旧する人々、その他、多様に有ります。
これらの団体・人々は時には内輪で争いながらも、総体として学校の力量を落とし、意図する否とに関わらず、学力の低下をもたらして来たと言えましょう。つまり学習しなくとも普通・当たり前とするような児童・生徒を大量に育てて来たのです。
今日では、学習強化と確りと結び付いていない多数の不毛な教育改革(論)がある一方で、少数者(二割位か)を対象にした特殊な教育改革が進んでいます。全体としての学力向上が見込めない以上、現状ではやむを得ないと言う事でしょうが、公立六年制学校や会社制学校や新型私立学校や進学重点校などがこれに当たります。恐らく近年中にこれら少数の学力上位学校と多数の非学力学校との差異が明瞭になって来るのでしょう。確かに国際間での学力・能力競争時代に日本が負けない事は大切ですが、他方大きな弊害も見込まれており、残念な事態です。
何はともあれ、(会社は仕事をする・させる事が本業である様に)、学校は学習をする・させる事が本務、その他は副務です。生徒全体を学習させるとする学校現場での改善や厳しさを、実際に具体的に取り戻す事が本道・肝要なのです。日本にもつい30〜50年前には有った、アメリカやイギリスでは既に取り戻しつつあると言われる、この本道に立ち返りましょう。
(注)教科・学習としての道徳教育とかは不要・間違い。会社・学校・地域社会・その他の其々に必要な道徳・常識・公正さ等が在り、これを土台として理解し・実際化して行く事は大切です。前・後者を混同しない様にしましょう。