国歌等に付いて

          

        国歌などに付いて              

    ・・・・・公正・中庸な理解の為に                   (注)此れは此のまま教材などとしても活用出来ます。
                                                                              

 A、日本の国歌などに付いて

 世界には国歌などを持つ国が多数有ります。日本に付いては、
1、国旗・・・日章旗(日の丸の旗)とされます。
2、国花・・・桜の花と思われますが、未定です。
3、国章…有りません。外務省は旅券に天皇家(皇室)の家紋(十六枚菊)を用いています。

4、国歌・・・「君が代」に付いては様々に検討して見ます。
 元の詩 「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌と成りて 苔のむすまで」
 (口語訳) (大切な)貴方様の(お栄えし・発展する)時代が、千年も八千年も、(例えば)小さな石が大きな岩へと成長して、苔が(たくさん)生える時まで、(永く続きます様にお祈り致します)。

 天皇に付いて成文から見ると、
a. 五か条の誓文(1868=明治元年)より
 一,智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
   ・・・知識を世界中に求めなさい。(そして)大いに天皇家の発展のために努力しなさい。(注・前年に将軍家が無くなっていました)

b.大日本帝国憲法(1889=明治22年)より
 一、大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す。
 二、天皇は神聖にして侵すべからず。
 四、天皇は国の元首にして統治権を総覧し・・・・・。
  ・・・遠い昔から今日まで続いている天皇が、(主権を持って)日本の国を統治して(取り仕切って)行きます。天皇は神様と同じですから、決して汚して(逆らって)いけません。天皇は国の政治の上で一番偉い人です。なお(役人が行なう)国を治める為の全ての活動に目を通します・・・・・。

 両者(君が代と天皇)の関わりで見ると、
 歌曲「君が代」は1879年に、天皇をほめ称える為の音楽(天皇礼式曲と言う)として作られました。しかし国歌が無かった為に、やがて国歌の代わりとして用いられる様になります。そこで歌詞の解釈も、礼式曲の「天皇陛下と天皇家の(お栄えし・発展する)時代」から、国歌としての「天皇陛下の(お治めになる)時代」へと変わりました。

 やがて1945年の敗戦によって、憲法も大きく改定されました。
c.日本国憲法(1947=昭和22年)より
 一、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基ずく。
 二、皇位は世しゅうのものであって・・・・これを継承する。

   ・・・(国民にとって)日本国(が立派であること)及び日本国民がまとまって居ること(は大切です)。天皇は(この為に、)象徴(としての仕事(例えば国会を召集したり、総理大臣を任命する事)をする、特別職の国家公務員)です。
 (なお)全ての事に付いて決める権利を持っている国民、この国民の総意(・・・国民投票で半数を超える賛成によって示される)を受けて、天皇の地位は保たれます。
 天皇の地位は天皇家(本家と分家がある)の人が受け接いで行きます。
 (注、天皇も生身の・自主的な考えを持つ個人です。公務外の生活は自由に行えます)
 
今日の「君が代」に付いて
 国歌として用いる場合、「君」が天皇を指すことははっきりしています。ここで基本法規である現憲法に立って考えると、
 a、旧憲法でも天皇に象徴としての役割があった。従って天皇に付いては現憲法と本筋で変わりが無いから、「君が代」も現憲法に合致して(うまく合って)いる。
 b、国民主権の立場から見て、現憲法にはなじまない(相応しくない)。国歌としない方が良い。
 c、現憲法に違反しているので認められない。
 d、その他、  の見方が有ります。

 今日でも「君が代」を国歌であると言い切る為には、その前にきちんと考えなければならない事柄が、幾つも残っています。
 従って、私たちが儀式などに参加している場合でも、他人から言われて斉唱するのでなく、自分で考えて、どうするのかを決めて行くことが大切です。主権を持つ国民の一人として、確りと判断しましょう。


 B、国歌斉唱・国旗掲揚に付いて
                    (個人や団体の自主的な判断と、外部からの強制に付いて)

 世界の国々から考える

 独裁政治や偏向(片寄った)政治の国では、政府が大てい国歌斉唱などを強制しています。この為に、従わない人々は何らかの処罰や抑圧を受けるのが普通です。その場に居ると他国民も強制されます。
 民主政治がある程度以上に行なわれている国では、政府も強制しません。なぜかと言うと、その国では既に大半の国民が現にある国歌などを当然のものとして・日常的に受け入れているのが普通だからです。この為、国内の様々な場所や団体などで、特別な議論も無く、儀式の主催者が淡々と斉唱などを行なっています。

 とは言っても、自国を大切にすることと現国歌などを認めることが同じとは限りませんから、国内には少数の受け入れない人々が必ず居ます。しかし彼らが暴力的な反対活動に出ない限り、斉唱などで無視や拒否をしても当然と了解されています。従って多数派や当局者からの嫌がらせや処分なども受けませんし、互いに違和感も残しません。
 なお、国内に斉唱などを受け入れない人々が多数を占める場所や団体がある場合、そこでは当然に斉唱なども有りません。社会には例外が有る(時には例外が多数となる)のも普通ですから、誰も100%実施などと言い立てません。

 以上は民主政治の国や社会で当たり前の常識(や良識)ですし、これは国歌などが法律に定められていても・いなくとも同じです。つまり政府や国民などが成熟して居るのです。
 (注)ドイツ・イギリス・フランスなどでは、政府や「教育委員会」が国歌斉唱させることを、既に取り止めています(自主的に斉唱する学校はあります)。

 日本の場合で考える

 次に私たちは、先に法定された国歌などに対して、日本人としてどう対応したら良いでしょうか。
 これも健全な国際社会や民主政治の国の常識に立って考え・行動すれば良いのです。つまり、斉唱するか否かなどをその場所や団体などで自主的に判断すること、加えて個人も自主的に判断することが大切となります

 例えば、学校では教職員(事務系を含む)の総意(多数意思)を受けて、代表者(校長)が斉唱などを実施(不実施に)すれば良いのです。なお、高校以上の場合は生徒・学生の意思に配慮することも大切です。ここで教育委員会などが学校へ斉唱などを要請しても良いですが、強制すると単なる非常識で異常な行為でしか有り得ません。これを国として見ると、先に書いた偏向政治の国の一つに成ってしまいます。

 上記は各地域や各種団体であっても同じですから、産業活動の会社などであっても事情は同じです。斉唱などで経営者だけの一方的な決定は非常識、全職員の総意を受けることが大切となります。(専決しても良い事と良くない事の区別は、会社を含むそれぞれの企業にも必要です)

 他国に居る時には (公式訪問の一部を除く)

 ではこの時に国歌斉唱などが有ったら、どう対応すると良いでしょうか。他国では国情や民情が良く分からなくて普通です。この場合は「和して同ぜず」になります。国歌斉唱でほぼ全員が起立する時は同じく起立しますが、斉唱をしません。国旗掲揚も同じく起立して、敬礼せずに見守ります。

 要はその場の雰囲気の中で上手に振舞えば良いのです。他国内で一方へ片寄った人だと誤解されると、思わぬ困り事に落ち込みかねません。つまり学校で「他国の国歌や国旗を尊重する態度を養うこと」も安易にしてはいけないのです。
                                                   ’02年05月3日
 

 

 

     天皇に付いて理解します

                                                             7月20日

 天皇に付いては憲法に基づき、かつ文言の不足を補いながら理解します。
 天皇は象徴としての仕事をする特別職国家公務員です。身分は公務員の最上位となります。
 この仕事には、内閣総理大臣の任命の様に形式を整える事、その他が有ります。
 天皇の地位は国民の総意、つまり国民多数の賛成(具体的には憲法改正の国民投票で、有効投票の過半数の賛成)によって保たれます。
 (昭和天皇に付いては1947年の憲法改正時に、多数が賛成していたと推論されます)

 天皇の地位の後継は、万世一系で無く、上記改正時の天皇を基にして世しゅうされて行きます。
 国民主権により、憲法改正で、天皇の地位を高める事も、国家組織から解除する事も出来ます。
 天皇と言う名称は幾つかに理解できます。名字に用いて、天皇家や天皇太郎氏などと言っても良いでしょう。
 天皇家の人々が、もっと気軽に・普通に日本人の一員として生活する事を望んでも、特に問題はありません。
   
 歌曲「君が代」は憲法になじみません。(合致or違反は極論ですが) 天皇を尊崇する人々が内輪の賛歌とするのは自由でも、国歌とするのはやはり不自然です。
 現憲法制定前の天皇に付いても、様々な物語や歴史や判断が有ります。しかしこれ等は一様でありません。やはり現在に付いては制定後で考えるのが良いでしょう。
 女性が天皇職に就く事は、要件が世しゅうだけですから、何の問題も有りません。

 (注)象徴とはある社会集団(国家や地域社会などを含む)の約束として、言葉で説明し難い内容などを、具体的な物や行為に依って表わす(代表させる)ことを言います。例え相手が天皇家であっても、生身で自由意志を持った人を象徴だと言うのは無理が有ります。
 元首(政治・特に行政上の最高位の人)に付いては天皇を形式的な・総理大臣を実質的な元首と考えても良いでしょう。しかしあえて元首を定めなくとも構いません。
 一方では天皇を信仰・尊崇的に受け止めて、神格化、君主・元首化を望む人々がいます。他方では天皇を否定的に受け止めて、廃止又は一層の形骸化を望む人々がいます。もち論、両者とも考え方としては自由です。しかしこの人々は往々にして・様々な理由を付けて、他者に自分たちへの同化を要求し、他者の行動を制限しようとする場合が有ります。共に不幸な事柄と言えましょう。                                                                                                                                

        
             自衛隊に付いて理解する。
                                                         ’15年01月12日
 
 自衛隊は憲法に違反しています。条文の解釈技巧上はともかくとして、普通に理解すれば違反は明らかです。
 しかし私は上記をもって自衛隊を否定しません。「憲法を守って国が滅びた」では困るからです。やはり最小限の防衛力は必要です。一日も早く、きちんと憲法を改正するべきでしょう。

 自衛隊は名前の通り、日本国を自衛する為の軍隊です。従い活動範囲を絶対に日本の国域(狭義には一二海里、広義には経済専管水域)に限定するべきです。様々な理由を付けて、国域外へ出してはなりません。この事こそ、憲法に徹底明記するべきです。
 (国域外へ出すのは、完全非武装で人道的な援助を行う・将来に正式な国連軍が出来て参加する、の場合に限ります・・・・このニつが肝心です。)

 (現在、日本の周囲に通常兵器で日本へ侵攻出来る国は有りません。自衛隊は有力です。但し核兵器・類似兵器は例外です。しかし例外は例外として論議するべきで、混同しては不可です。)

 

      左翼と右翼

 左翼にも やや左翼(軽左)・左翼・極めて左翼(極左)が有るように、右翼にも やや右翼(軽右)・右翼・極めて右翼(極右)が有ります。なお議員などでは、革新派が軽左から左翼に含まれ、保守派が軽右から右翼に含まれる様です。
 所で、左でも右でも無い人(これが一番に多い)には、左も右も分からない人(不知派)、両方に身を寄せないだけの人(中間派)、ある程度以上に左右が分かっていて自分なりの公正な判断をしようとする人(中庸派) が有る様です。

 何が中庸かは実に難しいのですが、ここでは中庸さを求める姿勢が大切でしょう。(これが有れば、左翼 右翼 不知・中間派の人への自主性を保った関わりも、幾分かは本人なりに持てる様です。)
 私もこの姿勢で努力しています。よろしくお願いします。                       ’2年1月19日


             
         「君が代」判決に付いて

減給処分を取り消す=「市教委指導は不当な支配」−「君が代」着席で福岡地裁判決・・・・・・時事通信’05年4月26日付け配信

 卒業式や入学式の君が代斉唱時に着席して処分された、北九州市立小中学校の教職員18人などが、強制は思想・良心の自由などを定めた憲法に違反するとして、同市や当時の校長を相手に、処分の取り消しと計約160万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、本日、福岡地裁であった。
 亀川清長裁判長は「(1)原告の行為は思想や良心が背景にあり、式は混乱しなかった。(2)単に起立しなかった行為に対して、生活に影響する減給処分を行なうのは妥当性を欠く」として、減給に付いては処分を取り消した。その他の戒告処分取り消しや損害賠償に付いては請求を棄却した。
 同裁判長は「(3)君が代斉唱は特定の道徳・イデオロギーを教え込むものではない」として合憲の判断を示す一方、「(4)市教育委員会が斉唱を各校長に指導し・監督までしたのは教育基本法の不当な支配に当たる」、「(5)学習指導要領は卒業式などの特定行事で、国歌斉唱を実施し教員が指導する義務までは課していない」と指摘した。

 以下は筆者の見解です。
1、(数字)は筆者の記入です。        2、判決は形式的な戒告処分の成立を認めているが、原告に実質的な損失を与える事を認めていない。(2)          3、合憲と判断するにしても、”道徳やイデオロギーを教え込むものとは言い切れない”の様な、中間的な表現とする方が良い。(3)          4、教育基本法上の「不当な支配に当たる」は的確な指摘である。(4)        5、「義務までは課していない」は学習指導要領上の国歌規定が、宣言規定(これが望ましい、と示すもの)であると再確認しており、適切なものである。(5)